ブログ
ブログ
いつもお世話になっております。
PHJの堀内です。
ある方がこのようにお話しをされていました。
「私は、小学生のころ、赤面症で、人前で話しをすることが
できない子供でした。
でも、私、皆勤賞だったんです。
なぜか?当時、不登校という言葉はなかったから。
今のように、不登校という言葉が存在していたら、
私も、引きこもりになっていたでしょうね。」
一理あるなぁと思いました。
「卵が先か鶏が先か論」ですが、
「言葉の力」は、大きいですね。
ある大学教授が、数年前の講演で、
「動物が、人類が過去経験していないことを、今経験しています。それは、親の介護ということです。人間以外の動物が、親を介護するということはない。人間だけでしょう。そして、昔は、親と同居し、ある意味で、床に伏すことはあっても、その後、亡くなった。介護というよりお世話でした。」
たしかに、
「高齢者の介護」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、いつごろからか。
ちなみに『広辞苑』では、1983年の第三版までには「介護」という見出し語はなく、1991年の第四版から掲載されている。「介護」という行為がおこなわれるようになったということで、
つまり、「高齢者を介護する」ということ自体、我々の歴史において、比較的新しい出来事だと推測することができますね。
言葉が時代を作るのか、時代が言葉を作るのか。
マザー・テレサさんの有名な言葉。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」
深いですね。
さて、虐待とは、繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすることである。具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるう、言葉による暴力をふるう(暴言・侮辱など)、いやがらせをする、無視をする、等の行為を繰り返し行うことをいうと定義されています。
「不適切なケア」ということを、昨日のメルマガで書かせていただきましたが、職員による明らかな虐待(意図的な虐待)、たとえ自覚なく行っていたとしても、正しいとは言えないケアを「不適切なケア」と。
自覚がないことで、行われる不適切なケアで、
近年注目されている「スピーチロック」とは「言葉の拘束」を意味する言葉。
言葉で行動を押さえつける行為を指し、問題視されていますね。
スピーチロックには明確な基準がない分、何気ない普段の声かけが身体拘束になる場合があります。
たとえば以下のような言葉がスピーチロックになりえるそうです。
・ちょっと待って!
・~していてください
・~しないで
・どうしてそんなことするの
・そんなことやめて
虐待殲滅で、重要なことは、意図するしないにかかわらず、「言葉」の改革、それが「行動」となり、「習慣」となり、組織風土になり、虐待になるから。
なので、根本である思考の変革から始める必要があるのです。
さて、いよいよPHJが福祉業界の虐待殲滅に動き出します!
Coming Soon!・・・・・2023年度上半期開催!
・「高齢者福祉・障害福祉・保育✖️科学的マネジメント導入実践研究会無料説明会」
・「高齢福祉・障害福祉・保育の経営者対象:虐待&不適切ケア殲滅研究会無料説明会」
お楽しみに!