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※殲滅=残らず滅ぼすこと
いつもお世話になっております。
PHJの谷本です。
PHJは、「虐待」のみならず、「不適切ケア」を起こす介護事業所・障がい福祉事業所・保育所にお勤めの加害者の言動と行動を世の中から殲滅したいと考えています。
理由は簡単、「ゲスの極み」だからです。
誰かの、一人の人間の尊厳を、全国のどこかで、踏み躙っている事業所がある、福祉の皮を被った鬼畜がいる、そんなことを許してはいけないのです。
この感覚があたり前になっていない法人は、汚物垂れ流しの、世の中に迷惑をかけている、環境破壊・環境汚染の法人といってよいでしょう。
しかし、その上で、「人間」というものは「環境」の影響をもろに受ける生き物です。
介護事業所・障がい福祉事業所・保育所の職場環境が、もし劣悪であった場合、そこで働く人々は
その色に染まります。直接「虐待」や「不適切ケア」に、手を染めなくても、見て見ぬふりをしている段階でアウトであり「同罪」であるわけです。
「悪いことをするのは、悪いこと」では「善いことを(あえて)しない」のはどうでしょうか?
「善いことを(あえて)しないことは、実は、悪いことをしているも同様」なのです。
「不作為」「懈怠」という概念ですね。
人間の心を動かすのは「ロジック」よりも「感情」だと言われています。
「合理的な計算」や「意思による決断」を適切に行える場面、瞬間は、1日の中で限定的です。
悪影響を与える福祉的(実質)犯罪者が周囲にいると、その場で働く職員は無意識に「感化を受ける」ものです。
その逆もあります。「とても尊敬できる人」が周囲にいた場合でも人間はそのような人から「感化を受ける」ものでもあります。
ところで、「不適切ケア」をやめない人、その問題行動を変容させられない人は、どんな思考だと思いますか?
「別に“虐待”しているわけでもないんだから、これくらいは平気よ」と思っている人もいるかもしれません。
法律的な定義からすると「虐待」というわけでもない。グレーな状態で漫然と「不適切ケア」を行なっている。
引用:「見抜く力」(佐藤優 著)〜慶応大学商学部 菊澤研宗教授のお話から
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2016年の頃、当時東京都知事だった舛添要一氏が、別荘への往復に公用車を使用したり、会議だといって、千葉県の出張ホテル代を政治資金で払ったのが実は家族旅行だったのではないか、と問題になったことがありました。
調査にあたった弁護士の結論は、「不適切だったが、違法とはいえない」というものでした。
この例で、「世の中には“合法的不適切”というものが存在する」ということが明らかになりました。
“合法的であれば、他人からどう見えようと問題ない”という価値観ということになります。
ロジックだけに依存する人は、法律を規範として行動しがちであり、それが肥大して、「法律さえ守れば何をしてもよい」という悪魔的人間に変化することがあります。
ナチスドイツで、何万人ものユダヤ人を強制収容所で虐殺したアドルフ・アイヒマンは法廷で「命令に従って合法的に行なっただけだ」と主張し続けました。もちろん法律を守ことが当然のことなのですが、
物事の善悪は、法律とは別に判断すべきなのです。そこがわかっていない人は、法律に頼ってしまいがちです。
合法的だけども不適切という行為は、僕に言わせると「人としての品位に関わること」で、やってはいけないことです。しかし、最近、人としてのそういった価値判断能力が弱い人が多くなってきていて、危険だなと思います。
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「品位が保たれた介護事業所・障がい福祉事業所・保育所」
「品格のあるサービスの質を保った介護事業所・障がい福祉事業所・保育所」
それを創造するためには、「経営者の品位・品格・誠実性と倫理観」が求められるわけで、全てはそこから始まります。
ちなみに「経営者の品位・品格・誠実性と倫理観」は、頭の中で持っていても意味をなしません。
どれだけ発信しているのか?どれだけ職員の意識・無意識に「上書き」をしているのか?ここが勝負です。
なので、
「虐待」&「不適切ケア」の殲滅の早道=経営者・施設長・所長の再教育と仕組みづくりとその運用、から始まるということになります。
経営者・施設長・園長・所長が変われば、全てが変わります。
びっくりするくらいに!
人間の品位は「教育」次第。
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お楽しみに!