セブン&アイホールディングス傘下イトーヨーカドー大量閉店が示す変化対応の遅れの根源的な要因に学ぶ | ポスト・ヒューマン・ジャパン株式会社

ブログ

  • ブログ2023.03.30

    いつもお世話になっております。

    PHJの谷本です。

     

    総合スーパー「イトーヨーカドー」が店舗の大量閉鎖を決断したことをご存知だと思います。同店の不振は以前から指摘されてきたことですが、セブン&アイ・ホールディングスは202339日、傘下の総合スーパー「イトーヨーカドー」の店舗を今後3年間で32店減らすと発表したのです。これにより現在の店舗数は125店舗ですが、3年間で93店舗に減少することになリます。

    それに加えて、324日には、投資ファンドの米バリューアクト・キャピタルがセブン&アイ・ホールディングスの井阪隆一社長ら取締役4人の退任を求めていることが、わかりました。井阪社長ら現取締役4人を除いた14人の取締役選任案をセブン&アイに送付したのです。5月の定時株主総会で諮られる見通しです。バリューアクトはコンビニエンスストア事業に集中することを求めており、現経営陣の取り組みを不十分と判断したとみられると報道されています。

    「・・・あれ?これって既視感あるな・・・・。」

    みなさん、7年前に、セブン&アイ・ホールディングスで起きた騒ぎ、覚えている方おられますか?

    わたし、谷本、元セブン&アイ・ホールディングスの鈴木元会長のファンでしたので、よく覚えています。

    ちょうど、7年前の4月!日本にコンビニエンスストアを根付かせたカリスマ経営者、 鈴木敏文会長の突然の退任表明で噴き出したセブン&アイ・ ホールディングスのトップ人事をめぐる内紛劇です。スッタモンダの末、新社長に当時中核子会社セブン-イレブン・ジャパンの井阪隆一社長が親会社のセブン&アイ・ ホールディングス就任で決着した・・・というものです。井阪氏のクーデター成功というわけです。

    当時、セブン&アイホールディングスの(当時)鈴木敏文会長兼CEO(最高経営責任者、当時で83歳)は、傘下でコンビニエンスストア事業を手掛けるセブンイレブン・ジャパンの井阪隆一社長兼COO(最高執行責任者、当時で58歳)に対し、退任を求めていたのです2016年の45日に開かれた指名・報酬委員会では、井阪社長の退任と新たな人事案について、鈴木会長とセブン&アイの村田紀敏社長兼COO(最高執行責任者、当時72歳)、社外取締役2人の計4人が、5時間に渡る議論を重ねましたが、それでも結論は出ず、47日の取締役会で、井阪社長の退任を含めた人事案が諮られることになりました。しかし、その結果は、賛成7票、反対6票、白票が2。取締役15人の過半の賛成を得ることができず、鈴木会長の提案した人事案(井阪社長は能力的に疑問なので退任させる!案)は否決されたのです。これを受けて、逆に、鈴木会長は退任を決意し、同日午後4時半から開催された決算会見は、急きょ、鈴木会長の「退任説明会見」に変わったのです。

    その退任会見の内容とは・・・・。

    鈴木会長:ただ、彼(井阪社長)がCOOとしての役割を果たしたかというと、一生懸命やってくれたんでしょうが、会社全体として見ると物足りなさがあったことは事実です。それは本人にも、周りにも言ってきました。セブンイレブンの社長は、これまで最長で7年間の任期でやってまいりました。彼(井阪社長)も7年経ちましたから、ここで一つご苦労さんということで、(退任するよう)内示を出しました。内示をしたところ、「分かりました」ということで、(井阪社長は次にセブン&アイ)ホールディングス社長の村田くんのところに行きまして、「会長から(退任と)言われて、分かりました」と意思表示をした。

    けれどその後、再び私のところに来まして、「一昨日の話は、私は受けられません」と言いました。 私は「なんで?」とびっくりして聞き返しました。すると彼は「私は7年の間にこれこれこういうことをやりました」と。「それは君一人でやったの」と穏やかに聞きましたら、「私が中心でやりました」と言う。私は「そうじゃないだろう」と。セブンイレブンの経営方針はずっと(私が)出してきて、みんなでそれを実行してきました。私が非公式な会議を朝の8時頃から設けて、社長や副社長、商品部長、企画室長を集めて、方針を出してきた。彼はそれに従ってきただけです。

    話が長くなりましたが端折って申し上げると、私の話を聞いた人たちが、それぞれ手分けをして(セブンイレブンの経営を)やってきたんです。残念ながら、(井阪社長から)COOとしての改革案はほとんど出てきませんでした。

     (井阪氏が社長になって以降、セブンイレブンは)業績がずっと好調で来たのにということもあって、(退任させるのを)どうかなという気持ちもありました。けれど新しい案が(井阪社長から)出てきませんということを、幹部たちが口をそろえて言っている。

    私自身、今までのように、自分で考えたことをこの先何年も実行できるわけではありません。後継を育てることが必要だと常々感じていました。何人かの幹部に聞いても、(井阪社長の退任については)7年も続けてきたのだから十分じゃないかという話になりました。そこで私は彼に内示を与えたわけです。

     ただ内示を与えたところ、非常に恥ずかしいことですけれども、(井阪社長は)全部自分がやってきたというような言い方をして、食ってかかってきました。

    「私はまだマンションの支払いも続けております。私はまだ若い。私はセブンイレブン一筋で学卒からやってきたのだから、今やめるわけにはいかない」と。私は「それは違うんじゃないの」と言いましたけれど、けんか腰なんです。見たことのないような姿で、それ以上議論をしても仕方がないから、私は彼を帰しました。

    村田社長:以前から伊藤名誉会長からは、経営については鈴木会長に任せていると聞かされていましたし、今回の人事についても名誉会長から承諾をいただいて、指名・報酬委員会で私が、「名誉会長もこういう意見でした」と申し上げようと思ったわけです。

    けれど、名誉会長からはっきりと断られました。(←イトーヨーカドー創業者伊藤 雅俊氏のこと)

     こうしたことは初めてで、驚きました。今まで鈴木会長の経営に信頼感を持っていたのに、なぜこの件に関して承諾していただけないのか。私も名誉会長とのお付き合いは長いので、なぜなのかという違和感をものすごく持っています。それは今でも持っています。

    そして、20164月から7年後の20233月の現在、アクティビスト株主より退任要求を出されている井阪隆一会長は経営者として、「何が欠落していた」のか?

    ①井阪会長本人が、おそらく「過去が今を決めるのではなく、未来というものを置くことによって、過去が意味づけされ、今が決まる」という持続可能経営の鉄則を理解していなかった、というより理解できなかった。

    7年前に、当時の鈴木会長が提案したセブンイレブン・ジャパンの井阪隆一社長を退任させる案も、前掲の発想からである。一方、同社の指名・報酬委員会において社外取締役の学者(伊藤)等が「5期連続最高益を実現した社長を辞めさせるのは世間の常識が許さない」と鈴木当時会長の案に反対したのは、過去の延長線上の発想だったといえる。「世間の常識」は常に過去の延長線上で考えるもの、である。

    ②戦後日本の民主教育受けた世代の弊害・副作用により、「自由主義」「個人主義」を履き違えた「利己主義」がその人間としてのあり方の根っこだった可能性が否めない。

    何せ「マンションの支払いがまだ残っている」のが社長を辞めたくない理由ということだから・・・・。

    「過去が今を決めるのではなく、未来というものを置くことによって、過去が意味づけされ、今が決まる」

    鈴木敏文

    さらに、

    「利他主義」でなければ社会福祉法人の経営者を担うべきでない

    By 谷本正徳